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京都・四条新京極入り口の阪本漢方堂の阪本です。
「平家一門の堀跡出土」との報道があり、
「六波羅政庁跡、音羽・五条坂窯跡発掘調査現地説明会」に行ってきました。
平清盛の祖父平正盛の邸宅を構えたころ12世紀前半と推定され、屋敷の囲む堀と、堀に沿って堤防上の土塁が見つかった。
後世に武家屋敷を方形に囲む手法につながった可能性が高いと考えられている点が、とても興味深く感じました。
また平家が活躍する前後の漢方の歴史では、俳優丹波哲郎のご先祖様である丹波雅忠が1084年「医略抄」を著し、更に曾祖父である丹波康頼が現存する最古の医書「医心方」を著したのが984年、この平安時代の忘れられないポイントです。
発掘現場は京都市東山区五条坂。東大路五条の交差点西入北側です。
最近まで浅見五郎助窯(京式登り窯)が存在していた。
清水焼の茶碗破片も浅い土の中から出土し、現地では実際土壁に茶碗の破片を素人の私でも見つけられます。
発表されたのは平家の堀跡(平安時代)だけでなく、地底深くから見て弥生時代、鎌倉時代から室町時代、江戸時代以降の遺構が発見されたのです。
弥生時代後期の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)の上にかぶさる様に、平安時代中期の木棺墓があり、悠久の時の流れを経て今、私はこの地に立っているのだと感じました。
宋銭 元豊通寶(げんほうつうほう)なるものも出土したと展示。
後で調べてみると北宋時代に多く作られたと有りました。
発掘現場周辺が、平安時代に鳥辺野(とりべの)と呼ばれていた葬送の地。
北の蓮台野(れんだいの)、西の化野(あだしの)、東の鳥辺野、京都三大墳墓地のひとつ。
平安時代の貴族は好んで住まない所に平家は居を構え、堀作り攻め込まれないよう防御したのであろうと想像すると、NHK大河ドラマ「平清盛」を録画して見ていた事を思い出します。
ちなみに京都三大墓地の一つ、北の蓮台野(れんだいの)は船岡山から西へ紙屋川方面のエリアで、
朱雀大路は、この蓮台野へとのびている通リに沿って千本の卒塔婆(そとば)が立ち並んでいたことから「千本通り」と呼ばれるようになったと云われがあります。
阪本漢方堂新京極四条本店から、「平家一門の屋敷跡・堀跡出土現場、六波羅政庁跡」まで、車で約10分、徒歩約25分。