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京都・四条新京極入り口の阪本漢方堂の阪本です。
皆さん、日曜夜8時NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見ていますか?
地元京都でも関連したセミナーを色々開催されています。
長年暮らしていると、何度か前を通るのでなんとなくは知っていることは多々あるのですが、
よく通る場所が改めて歴史的に有名だったこと再発見しましたのでレポートします。
県外から京都観光にいらっしゃる際に、ご自身の好きな時代に的を絞って観光されるのもいいかもしれませんね。
現在、京都市中京区寺町通御池下がるに位置する本能寺は、阪本漢方堂の本店から近く、
朝の通勤時でも観光客が入り口で記念写真を撮る姿を見かけます。
しかし本能寺の変で織田信長が討ち死にをした本能寺は、六角通と蛸薬師通(当時は四条坊門)、
油小路通(あぶらのこうじどおり)と西洞院通(にしのとういんどおり)にある ことは、幾度と通るので知っていました。
しかし、この地以前にも本能寺は移転していたことは知りませんでした。(本能寺文書)
本能寺の変があった夜、家督を継いだ織田信忠は妙覚寺に寄宿していたこと。
明智軍に備え隣の二条殿屋敷に移動し、そこで討ち死にしたこと。
この二条殿は別名押小路殿とも呼ばれ、公家の二条良基の御屋敷で龍躍池と呼ばれる大きな池が邸内にあり
洛中洛外図屏風(室町時代)にも描かれています。
当時は室町通から烏丸通(からすまどおり)、押小路通(おしこうじどおり)から御池通(当時は三条坊門)のエリアで、
現在ではハローワークや京都国際漫画ミュージアムや西隣の京と労働局の有る、京都市中京区烏丸通御池交差点の東北角エリアです。
↑京都国際漫画ミュージアム
京都国際漫画ミュージアムは旧龍池(りゅうち)小学校跡地です。
この小学校名も、東西に走る大通りの御池通(おいけどおり)の名も龍躍池から名前の由来の一つとされています。
よく前を通り過ぎる交番の看板の名前も「二条殿交番」と令和の時代になって初めて私気が付きました。
県外の皆さん、京都にお越しの際は、是非足を伸ばしていってみて下さいね。
本能寺跡、並びに二条殿跡へは、阪本漢方堂四条新京極本店から徒歩約20分、車で約10分です。
相談の出来る薬局 阪本漢方堂 代表阪本